
静寂に潜む本音が顔を出す
今日は、ただのんびりしたい。そんな気分だった。
けれど、日が傾いて少し肌寒くなってくると、
家にいることが、急に孤独に感じられてくる。
さっきまで出たくなかったのに、今度は外に出たくなる。
1人でご飯を食べたくなくなる。
あんなに「今日は家で過ごそう」と思っていたのに。
私はいったい、何がしたいんだろう。
今の私は、ただ時間を過ごしているだけ。
どこかで“死を待っている”ような感覚になることもある。
「生きてるだけで丸儲け」「生きてるだけで素晴らしい」。
そんな言葉を耳にするけれど、
それでも自分を生かし切れない悔しさが、
理屈ではなく、胸の奥からわき上がってくる。
なんだかとても、情けない気持ちにもなってきた。
何かを成し遂げることや、誰かを幸せにすることは
確かに素晴らしい。
そうあれたら、どんなにいいだろう。
でも今の私には、それはとても遠くて、
実感があまり湧いてこない。
それよりもここにあると感じられるのは、
もっと手前の、
「生きている」と感じる瞬間を求めているということ。
命が尊いものだとわかっているからこそ、
時間の大切さを知っているからこそ、
焦りが湧いてくるし、
休みたくても心はうるさく、休みきれないのだ。
私はきっと
“生きていること”を強く感じたい人なんだろう。
ただ、キッチンでお湯を沸かしながら、
こんな答えのない思考をぐるぐる巡らせている。
「おかしな人だな」と思う人もいるかもしれない。
でも、本当は誰の中にもあるんじゃないだろうか。
孤独と焦りと、わずかな希望の入り混じった時間が。
そして、私もそのうちの一人である。
けれども、だからといって
焦りから逃れようと新たな刺激を求めてみても、
一瞬が満たされるだけで、心はさらに虚しくなる。
私は、波が押しては返す海のような、
満ち引きの激しい生き方ではなくて。
泉のように、少しずつでも確実に湧き続け、
溢れ出し、浸透していく。その中で、さざ波や凪のような時間を
ゆっくり味わっていきたい。
もしかしたら、私にとって
“何かを積み上げていくこと”こそが、
「生」の基盤につながることなのかもしれない。


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