理解し合ったり、伝え合うって難しい
人って、しばしば自分が正しいと思ったり、感じたことをストレートに相手に伝えてくる。
受け取る側にとっては、それがものすごく理不尽に感じることってあるよね。
そういう時、「理不尽に感じた」と感情の部分だけ伝えても、何も解決しないから、私は理性的に返すようにしてる。
それによって、相手が別の視点を持ってくれたら、まだコミュニケーションのズレをすり合わせる余地があるけど
その時点で相手も「こちらを理解しようと十分努力した」と思っていると、自分がまだ相手を理解できていない可能性を客観視することも、そこに向き合う余裕もなくなってしまう。
そうなると、それ以上は進展していかないことが、しばしばあるのよね。
ところが、この理不尽に対して、感情で応えても成立することがある。
”フィーリング”ってやつだ。
なんか、わかった気になってるやつ。
それでいいこともある。
なので、どっちもアリだと思ってる。
ただ、フィーリングで完結するのは、そもそもお互いが信頼し合っていて、理解しあっている場合とか、もしくは、どうでもいい相手だったり
はたまた、ある程度汲み取れれば裁量権はこっちにある場合とか。
その場が柔和になることを優先したい時なんだろうな、という感じがしてる。
長年学んだ場所で感じた「なんとなく」の限界
そして、昨日まさに、この「感覚だけではすり合わせきれない」ということを、自分が受けているボイスレッスンでも感じた。
先生の「声の響きを真似て落とし込む」。
今までは、そのやり方で近しいところは目指せた。
けれど、それだけじゃグレーゾーンが多すぎて
体調を崩したり、仕事が忙しかったり、何かの拍子にバランスが崩れると、また「自分の声」が分からなくなってしまう…。
そんな一進一退を繰り返しながら少しずつ前進してきたけれど
ボイストレーナーやコーチとして、人に伝える側へ進み始めた私には
「得意なところだけ伸びればいい」という
そのフェーズは終えたんだと改めて確信した。
自分が行き詰まった時には「なんとなくこういう感じ」ではなくて、もっとロジカルに解決したいって感じている。
もう20年近く、その先生に教わってきた。
長い時間をかけて、たくさんのことを教えてもらった。
だからこそ、先生が間違っているとか、今までが全部ダメだったという話ではない。
ただ、自分の人生のコマを進めたら、必要とするものも変わってきた。
感覚だけではブレやすいし、理論的な知識だけあっても上達しない。
どちらもバランスが大事。
そして今の私には、もっと言語化された環境が必要だ。
そうやって、自分の世界は少しずつ変わっていくんだ。

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